経済ニュースを見ていると「デフレが~」と評論家がよく口にすることに気づきませんか?
さらにもう一歩踏み込んで、デフレの進化系として「デフレスパイラル」というものがあります。
「デフレ」「デフレスパイラル」の2つの概念を正確に理解しておくだけでも、経済循環の知識がとても深くなります。
目次
デフレとは?
経済と言うのは、広い視野で見ると「好景気」と「不景気」の循環を繰り返しています。
デフレは主に、「不景気」の際に見られる現象です。
モノを安く買えるわけですので、何となくお得感があるわけです。
しかし、モノを「売る」側から見れば、デフレは非常に迷惑なものです。
本来、高く売れるモノを安く売らないと中々売れないため、やむを得ず安く売ることになります。
安く売れば、その分、利益が減少しますので、企業の業績はどんどん悪化していきます。
企業業績が悪化していくと、それはやがて消費者にも返ってきます。
リストラなどの人員削減が頻発するようになり、モノを買うためのお金を稼ぐことができなくなるのです。
日本は、バブル経済崩壊後長らく、このデフレの状態に苦しんできました。
「失われた20年」とも言われ、経済成長が進まない時代が続くことになり、デフレの影響を真正面から受けることになります。
(目次に戻る)
デフレスパイラルとは?
デフレスパイラルとは、デフレにより物価下落が起こり、それに伴う企業業績の悪化の発生が繰り返し起こる現象です。
一度、デフレスパイラルに陥ると、市場経済が自力で復活するのが非常に困難になります。
そのため、政府や中央銀行が市場経済に介入し、デフレスパイラルからの脱却を図ります。
デフレスパイラルは、まさしく「不景気の最悪のパターン」ともいえるものです。
モノが売れないということは、雇用も消費も生まれず、経済が悪化し続けるということです。
構造的な要因はあるにせよ、デフレスパイラルが起こってしまうということは、その国において何かしら経済システムに異常が発生したということです。
例えば、外食産業や娯楽産業がデフレの影響を受けた場合、人々は最低限生きるためにしか消費行動を行いません。
そうなると、安い食料品を製造、販売している企業に需要が集まり、利益が生まれるようになります。
何かしらの業界は、デフレ下であっても一時的には利益を出せるのです。
デフレスパイラルとなり、どの業界でもデフレが進むとなると、自体は深刻です。
「食料を買いたいけれど、お金がない…」という状態ですので、もはや自力での消費行動を期待することはできないのです。
(目次に戻る)
デフレスパイラルから脱却する方法とは?
デフレスパイラルから脱却するには、「インフレ状態に無理やりもっていく」ことが目標になります。
量的緩和政策
まず、一つ目の方法としては、中央銀行による「量的緩和政策」が挙げられます。
量的緩和政策とは、中央銀行(日本銀行)が、民間銀行の保有している国債を買い取り、お金を銀行に流す政策です。
日銀が国債を買い取る際、現金を他の場所から調達するのではなく、「増刷」して対応します。
この結果、民間銀行にお金が集まり、融資が行いやすい状況になります。
銀行が、そのお金を個人や企業に融資することで、新たな消費が生まれ、徐々にデフレスパイラルが止まっていくという算段です。
それは、「個人の消費意欲を必ずしも高められない」という点です。
デフレスパイラルのもとでは、個人は「借金をしてまでモノを買いたくない」という心理を抱きます。
それもそのはずで、借金をした場合、返済をしなくてはならないので、「さらに生活が苦しくなるのでは?」という疑念が生まれてしまうのです。
この結果、個人への融資がそこまで進まず、銀行でお金が溜まってしまい、お金の循環が滞ってしまうことになります。
量的緩和政策は、必ずしも万能な政策ではなく、その効果も限定的なものになってしまう恐れがあるのです。
公共投資
もう一つの手段として、「公共投資」が挙げられます。
公共投資とは、政府が工事や建設により、新しい需要と雇用を生み出す政策です。
例えば、デフレスパイラルのもとで、政府が新しいダムの建設を行った場合、その工事で働く労働者、資材をつくる製造会社、その資材を運ぶ運送会社に仕事が生まれます。
政府がお客さんであるため、費用は国の税金から捻出されます。
その代わりに、その工事に携わった人、組織は利益を得ることができるため、お金が市場に出回るきっかけとなります。
ダム建設以外にも、トンネルの工事や道路の舗装、水道管の点検など国が公共投資として行うものは数多くあります。
確実に雇用を捻出できるため、一定量の成果は安定して出すことが可能です。
公共投資として有名なのは、世界恐慌時にアメリカのルーズベルト大統領が行った「ニューディール政策」が挙げられます。
ニューディール政策では、テネシー川流域の開発工事などを政府が発注して雇用を創出しました。
ただ、公共投資はその物量が限られるということもあり、経済全体を完全にインフレ状態に押し上げることは難しいです。
実際に、ニューディール政策でも、完全に不景気から脱却することはできず、最終的には第二次世界大戦による軍需景気によって経済回復を果たすことになります。
(目次に戻る)
〜コラム〜日本もデフレスパイラルの危機にあった?
それは、世界恐慌の煽りを受けて発生した「昭和恐慌」の時代です。
企業の倒産が相次いだ為、デフレスパイラルの状態となってしまったのです。
ただ、日本は各国が世界恐慌によるデフレに苦しんでいる中、いち早くこのスパイラルを脱出することになります。
その立役者となったのは、当時の大蔵大臣であった高橋是清氏です。
高橋是清氏は、日本銀行が引き受けとなった公債の発行を進め、その資金を軍需産業に投下することで生産、消費を発生させ、デフレスパイラルからの脱却に成功しました。
ただし、デフレスパイラル脱却後は過度のインフレを抑制するために、軍需産業への投資を止めていきます。
これが軍部の反感を買うことになり、1936年の二・二六事件により暗殺されていまいます。
今から90年近く前にも関わらず、デフレスパイラルの特徴を正確に把握して、その解決策を打ち出した手段に、現代の私たちも学ばなければなりません。
(目次に戻る)
まとめ
デフレスパイラルは、陥ってしまうと深刻な不景気となってしまい、市場経済が自力で復活することが困難になります。
政府や中央銀行の介入により、デフレスパイラルから脱却することが可能です。
過去には、日本もデフレスパイラルに陥った過去がありましたが、高橋是清らの活躍により、いち早く脱却することに成功しています。
今後、日本が再度、デフレスパイラルに陥る可能性はゼロではありません。
過去に学び、適切な政策を打ちだしていくことが今の政府、日銀に求められますね。
以上、デフレスパイラルとは?デフレ対策(脱却)としての量的緩和政策・公共投資。…の話題でした。