ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロスと並び「世界の三大投資家」と名高いジム・ロジャーズ。
このコンテンツでは、同氏の生涯と、現在の世界観についてお伝えしていきたいと思います。
■ 今回のポイント:
- ジム・ロジャーズが何故『世界三大投資家』の地位を確立しているのか?
- クォンタムファンド引退後の活動とは?
- 現在彼は何を魅力的な投資対象と考えているのか?
- ジム・ロジャーズの講義を日本で聞く方法
目次
Contents
ジョージ・ソロスに出会うまで
ジム・ロジャーズはどのようなバックボーンの下で、その天才的な投資センスを身に着けていったのでしょう。
優秀な『幼少期~学生時代』
1942年ジム・ロジャーズはアラバマ州で化学工場を経営する父と専業主婦の母の5人兄弟の長兄として生まれました。
努力家のジム・ロジャーズは幼少時から優等生で、高校時代もトップクラスの成績を収めています。
その優秀さが認められ名門エール大学に進学することになります。
ジム・ロジャーズはエール大学で歴史を専攻しました。
また夏休みのアルバイトは、金融街であるウォール街でアルバイトをすることで投資に興味を抱くようになっていきます。
エール大学卒業後、オックスフォード大学院の修士課程に進学し、「哲学・政治・経済」を学ぶことになります。
この専門的な知識や留学によるグローバル感覚はジム・ロジャーズが投資家として成功した、バックボーンになったのは言うまでもないでしょう。
アナリストとしての社会人時代
ジム・ロジャーズは見習いアナリストとしてウォール街で働き始めます。
「休みも取らず毎日働いていたい」そう考えるほど、ジム・ロジャーズは仕事に没頭しました。
その卓抜した投資センスがジョージ・ソロスの目に留まり、二人はヘッジファンドを共同設立することになります。
以下、ジム・ロジャーズの生き方を詳しくみていくことにしましょう。
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クォンタム・ファンドとジョージ・ソロス
1973年ジム・ロジャーズとジョージ・ソロスという天才投資家がタッグを組みクォンタム・ファンドを共同設立しました。
ここでは、天才たちが作り上げたクォンタム・ファンドとはどのようなヘッジファンドであるのかを見ていくことにしましょう。
ジョージ・ソロスとは?
ハンガリーのブダペスト出身のジョージ・ソロスは1930年生まれでジム・ロジャーズの12歳年上です。
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで哲学の博士号を取得しています。
1956年アメリカに移住しウォール街で働くうちに、ジム・ロジャーズと共同でヘッジファンドを設立することになります。
ジョージ・ソロスは天才投資家という側面だけではなく、慈善家・政治運動家としても有名です。
クォンタム・ファンドの輝かしい実績
ジム・ロジャーズがクォンタム・ファンドで活躍したのは1973年から1980年のたった7年間です。
投資のダウ平均株価指数は上図の赤い矢印の期間です。
完全に、持合い相場ですよね。
幅値はおよそ600ドル~1,000ドルと40%ほど(MAX値、平均は20%程度)で推移していることがわかります。
その持合い相場でクォンタム・ファンドは3,365%という驚異的なリターンをあげています。
クォンタム・ファンドが驚異的なリターンをあげることができた理由は、ロング(買い)とショート(売り)のポジションを利益が出る状況に応じて自由自在に使い分けたからです。
また投資対象も株式だけでなく通貨・商品と幅広く、また現物取引だけでなく先物取引やオプション取引も積極的に取り入れていきました。
今では一般的な取引ですが、当時はまさに時代の最先端を行く独特の投資方法であったといえます。
クォンタム・ファンドでのジム・ロジャーズの役割
クォンタム・ファンドでは二人の天才の役割がはっきりと分担されていました。
ジム・ロジャーズの役割はアナリスト、ジョージ・ソロスの役割がトレーダーです。
ジム・ロジャーズは「グローバル・マクロ」と呼ばれる手法を取り入れていました。
「グローバル・マクロ」とは国際情勢、マクロ経済、金融政策、社会のトレンドなどによる需給の変化を徹底的に調査します。
そこから価格の大きな上昇や下落を予想してポジションをとるスタイルの投資手法です。
こうして二人の天才はクォンタム・ファンドで3,365%という驚異的なリターンを上げることに成功しました。
クォンタム・ファンドからの引退
1980年ジム・ロジャーズは絶好調に利益をあげ続けるクォンタム・ファンドから引退しています。
<<ⅰ.ジム・ロジャーズの引退理由>>
ジム・ロジャーズがクォンタム・ファンドから引退した理由は人事をめぐる運営方針でジョージ・ソロスと衝突したためです。
ジョージ・ソロスと衝突したジム・ロジャーズが引退といった形でクォンタム・ファンドから出ていくことになりました。
<<ⅱ.ジム・ロジャーズの引退後のクォンタム・ファンド>>
ジム・ロジャーズの引退後の翌年1981年クォンタム・ファンドは設立以来、初めての損失を出すことになります。
損失額は資産を半分失う程の大きな損失になりました。
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クォンタム・ファンド引退後のジム・ロジャーズ
37歳という若さでクォンタム・ファンドを引退したジム・ロジャーズ。
引退後も多方面で活躍することになります。
<<ⅰ.コロンビア大学ビジネススクールの客員教授>>
1980年にクォンタム・ファンド引退後、同年ジム・ロジャーズはコロンビア大学ビジネススクールの客員教授に就任しています。
<<ⅱ.テレビ出演>>
ジム・ロジャーズは会話のセンスにも秀でています。
彼は「易しい単語を使って分かりやすく説明する」のが特徴です。
このため、世界中の投資家に人気があります。
その特技を活かし、多くのテレビ番組にも出演しています。
1989年にはWCBSの「The Dreyfus Roundtable」、また1990年にはFNNの「The Profit Motive with Jim Rogers」で司会を務めることになります。
さらに2002年には毎週土曜日放送の「FOX News Cavuto on Business」でレギュラーゲストとしてテレビ出演しています。
<<ⅲ.ギネスブック記録を持つ「旅」>>
ジム・ロジャーズは引退後、バイクでの世界冒険旅行に挑戦しています。
1990年から1992年にかけて、オートバイで世界6大陸に渡り、合計65,065マイルを走破しました。
これはギネスブック記録に認定されています。
また、1999年1月1日-から2002年5月2日にかけて、メルセデス・ベンツで116カ国渡り、合計245,000キロメートルを走破しています。
こちらもギネスブック記録に認定されています。
このように、ジム・ロジャーズは「冒険家」としての側面もあることがわかります。
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シンガポールに移住した理由と中韓への期待論
ジム・ロジャーズは2007年シンガポールに移住しています。
ここではアジア投資に期待をかけるジム・ロジャーズの世界観をご紹介していきたいと思います。
シンガポールに移住した理由
ジム・ロジャーズは英Telegraphのインタビューに以下のように答えています。
「1907年にニューヨークに移住するのは素晴らしいことだった。そして、2007年にはアジアに移住することが次のすばらしい戦略となるだろう」
次はアジアの時代が来ると確信して、ジム・ロジャーズは家族とともにシンガポールに移住してきたことがわかります。
またジム・ロジャーズは愛娘に中国語を学ばせています。
それは、将来的に中国語が重要になると考えているからでしょう。
中国・韓国への期待論
ジム・ロジャーズといえば、中国及び韓国に投資していることでも有名です。
<<ⅰ.中国>>
2008年に中国株を率先して購入し、大きな利益をあげたジム・ロジャーズ。
その相場観はバイクで中国大陸を旅して、自分が肌で感じた中国という国に対する評価のたまものではないでしょうか。
また近年も習近平政権の下、アメリカと国交を深め、中国はさらに偉大な国になるとの見解を示しています。
いまだに中国に対する高い投資熱意があることがわかります。
<<ⅱ.韓国>>
ジム・ロジャーズは未だ発展途上の状態にある北朝鮮の経済開放を見越し大韓航空の株を購入したことを明らかにしています。
ジム・ロジャーズはまだ誰も注目をしていない国や商品に積極的に投資し利益をあげてきた投資家です。
彼の眼に北朝鮮という国は上昇の余地しかない魅力的な国として映っていると考えられます。
北朝鮮バブルが到来する。
そう確信しジム・ロジャーズは大韓航空株を購入しているのでしょう。
ジム・ロジャーズの日本観
そんな高い先見性を持つジム・ロジャーズからすると、発展してしまった日本はあまり魅力を感じないのも当然です。
日本が少子高齢化で外国人労働者にも抵抗感が強く稼ぐ力が弱い国であると感じてしまうのも無理のないことです。
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まとめ
努力家・投資家・冒険家と様々な顔を持つジム・ロジャーズはとても魅力的な人物であることがお分かりいただけたと思います。
瞬間を推測し、利益を得るデイトレードも魅力的ではあります。
しかし、自分の知識と経験から世界の状況を推測し、先回りをして投資するジム・ロジャーズのダイナミックな投資方法と比較すると、投資効率で劣ってしまうのではないでしょうか?
テクニカル・ファンダメンタルズ分析だけではなく、知識や実体験から自分で考える壮大な世界観をもとに投資をするジム・ロジャーズ流の投資方法もまた高い利益をあげることができる投資方法といえるでしょう。
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