■ 過去の世界経済恐慌:
- 1929年:ブラックサーズデー(暗黒の木曜日、ウォール街大暴落)
- 1971年:ニクソンショック(ドルショック)
- 1987年:ブラックマンデー(暗黒の月曜日)
- 1997年:アジア通貨危機(Asian Financial Crisis)
- 2001年:ITバブル崩壊(dot-com bubble)
- 2020年:コロナショック(COVID-19)
目次
Contents
アジア通貨危機とは(インドネシア・韓国も被弾、日本は?)
アジア経済発展の中心にいたタイ王国を起点に始まった「通貨危機」。
この危機は、近隣である東アジア、東南アジアの各国経済に大きな悪影響をもたらしました。
「アジア通貨危機」が起こった原因としては、欧米ヘッジファンド、機関投資家の存在がありました。
タイ王国通貨「タイバーツ」に対して、大量の空売りを実行し、これが通貨危機のトリガーとなったのです。
この通貨危機で、タイ王国、インドネシア、韓国などを筆頭としアジア経済は大きな打撃を受け、タイ王国はIMF(International Monetary Fund)の管理下に入ることになります。
IMFの主な目的は、加盟国の為替政策の監視(サーベイランス)や、国際収支が著しく悪化した加盟国に対して融資を実施することなどを通じて、(1)国際貿易の促進、(2)加盟国の高水準の雇用と国民所得の増大、(3)為替の安定、などに寄与することとなっています。
タイ王国、インドネシアと同様、ASEAN5の一員であるマレーシア、フィリピン、その他香港なども被弾しました。
また、新興国における通貨不安はロシア通貨危機、ブラジル通貨危機と連鎖反応のように混乱を招いてしまいます。
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相場で牙を剥く欧米ヘッジファンドと機関投資家
アジア通貨危機が発生する前の局面をまず整理する必要があります。
「アジア(タイ王国を中心)の経済成長・為替レートに対する評価の差」、つまり、ヘッジファンドはアジア(タイバーツ:THB)の通貨が経済成長に対して「過大評価」されていると判断したのです。
基本的に経済成長率の高い国の通貨は買いと言われており、例えば米国と日本の2国間で考えて、米国の経済成長率の方が高ければ、米ドルが買われ、日本円が売られる傾向にあります。
経済成長が期待される国はビジネスのチャンスがあり、株価の上昇も期待されます。
その他にも大手企業の進出や総合商社などの事業投資などが進むにあたり、これら全ての投資をするにはその国の通貨を購入する必要があるのです。
■ ここまでのポイント!
- アメリカ経済政策によってアジア経済は好景気になるも、経済成長が終焉を迎える段階だった。
- タイ通貨がタイ王国の経済成長に対して過剰評価されていると判断され、投資家がTHB通貨を売り始める。
- 売りが徐々に進む中で、ヘッジファンドがすでに投資している資金を引き上げ、そのまま大規模な空売りを仕掛ける。
- タイ通貨のレートは急落、タイ政府は買い支えを試みる。
- 支え切ることができず、通貨切り下げのタイミング(=底値)でヘッジファンドは通貨を買い戻し二段階の利益を得る。
- すでに高止まりしていたタイバーツが上昇するリスクはほぼなく、ファンドは強気に売り攻勢を仕掛けることができた。
大規模な売り攻勢を仕掛ける前に、ヘッジファンドの中でもリスクは限定的であるという確信を持っての行動だったと想像ができます。
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アジア(タイ王国を中心)の経済成長・為替レートに対する評価の差
さて、経済成長率と為替レートの評価に差があったという解説でしたが、具体的にどのような状況だったのでしょうか。
終焉を迎え低迷していた当時のタイの経済
アジア(タイ王国を中心)の経済成長・為替レートの差が生じていた理由は「タイの経済低迷」と「ドルペッグ制」が採用されていたことが大きなポイントです。
まずはタイの経済低迷についてです。
タイ王国は1980年来、自国企業を中心に、海外への輸出志向型の経済開発を進めました。
この施策が軌道に乗り、1987年以来なんと平均9.5%もの経済成長を遂げました。
タイ国内からの直接投資も1995、 1996年には12億米ドルを突破し、輸出の伸び率を2桁台に乗せていました。
しかし、政権が絶えず不安定な状況であり、タイ王国政府の経済政策への取り組みも強固なものではなく、適切な政策の策定が追いついていない状況でした。
これらの背景から、諸々の問題も起き始めます。
- 失業率の低下
- 公務員給与など最低賃金の引き上げ→インフレ率の上昇
- 金融・経済システムの整備の遅延
- ベトナムなど他アジア新興国の輸出競争参入により経常収支の赤字が拡大
経済成長に対して政府の施策が追いついておらず、経済は低迷。
1997年度は歳入の減少を背景に、タイ政府は10年ぶりに財政収支が赤字化するとの予想を公表しました。
ドルペッグ制の採用(固定相場制)
さて、上記のようにタイの経済が低迷している状態で、ドルペッグ制でタイバーツがドルに連動して通貨の価値が上がってしまってました。
ここにヘッジファンド、機関投資家は目をつけたのです。
1990年代のアジア諸国は、自国の通貨をドルに連動させる「ドルペッグ制」を採用。
ドルペッグ制は、世界の基軸通貨である「米ドル」(=USD)と連動させる仕組みであり、海外取引である貿易・海外投資などにおける為替リスクを縮小させる政策の一つです。
さて、タイの経済が不安視される状況に陥った際に、米国が「強いドル」政策を打ち出しました。
これにより、為替が「ドル安」から「ドル高」へとゆるやかにトレンドが変わったのです。
米国が伝統的に掲げてきた「強いドルが国益にかなう」とする通貨政策。強いドルは健全な米経済の成長を反映しているとの考え方が背景にあり、海外からの巨額の資金で米国債の需要を支える米財政政策の生命線でもある。ドル高は海外からの輸入物価の引き下げにつながり、国内の消費者には一定の恩恵がある。
(引用:日経新聞「強いドル政策」)
ヘッジファンドは通貨の空売りを実行、タイ政府は外貨準備高が不足しており買支えが不可能に、そして通貨の切り下げを実施します。
通貨切り下げ
固定相場制を採用している国が、自国通貨が弱くなるように為替レートの交換比率を対外的に引き下げること。通常は当該国の中央銀行が、ドルに対する交換比率を変動させます。通貨切り下げは、通貨価値の下落に伴い輸出品の価格も下落するために輸出先での価格競争力がアップすることになりますが、輸入品の価格上昇を招きます。
日本や米国など変動相場制を採用している国では、市場原理により適正な為替レートに自動的に調整されるため、通貨切り下げはありません。
売りの攻勢を仕掛けタイ国政府が通貨を切り下げたタイミングでヘッジファンドは買い戻し。
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固定相場制→変動相場制へ
当時のタイバーツの対米ドル為替レートは1USD=24.5バーツから、1ドル=29バーツに急落。
外国資本は通貨の信用低下から引き上げられてしまったのです。
ドル高により対外債務(USD)の支払いも滞り、IMFに融資を求める結果となりました。
IMFの融資を受けた後も、タイは自国で再建できる状況ではなく、通貨は半年後に1USD=50バーツまで低下、翌年にはなんと1USD=207.31バーツと歴史的な暴落を記録しました。
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まとめ
この後、タイは通貨が弱くなったことを機に、それを生かして貿易収支を改善に成功し、タイの自動車産業「アジアのデトロイト」を中心に経済成長を遂げました。
経済危機に陥った後の状況・政策次第で新興国は経済回復の速度も変わってきます。
特に、海外株を購入している方は、投資先の国の政策をしっかり把握するようにしましょう。
以上、アジア通貨危機とは?発生の原因とタイ王国経済とドルペッグ制による通貨価値暴落のメカニズムをわかりやすく解説…の話題でした。