「失われた20年」と呼ばれるぐらい、日本は長らく不況に苦しんできました。
「好景気と不景気」のサイクルを正確に把握しておくことは重要です。
その理解は、今後の景気を予想する、引いては資産運用における投資判断に役立ちます。
今回は、日本の不況の歴史について解説しますが、どのような時に景気は良くなるのか、悪くなるのかを把握していきましょう。
目次
Contents
明治維新を機に経済が急成長
日本の経済を見ていくにあたって、まず初めに着目するべきなのが、明治時代の産業革命です。
明治維新を機に、日本は経済の欧米化を進めていきます。
例えば、工場を建設して、人々を集団で働かせたり、鉄道をつくって、輸送を大量かつ迅速に行うようにするなど。
とにかく経済発展を進めていく方針がとられていきました。
急速な経済発展によって、人々の暮らしは大きく変わっていきました。
ただ、急速な経済発展によって、過酷な環境で働かされる労働者も増えていき、深刻な社会問題になりました。
現代風に言うと「ブラック企業」というものですが、実は明治時代からすでに似たような状態になっていたのです。
当時の日本は、現代と異なり「人権」というものはそこまで認められておりませんでした。
労働者が声を上げても上から押さえつけられるという構図が出来上がっていました。
日本は、欧米の真似をして「帝国主義政策」を進めていきます。
帝国主義とは、自国の領土を広げていくために、他国の領土に侵出する考え方です。
始めに、隣国の朝鮮を巡って清(当時の中国)と戦争をします。
これが「日清戦争」と呼ばれるものです。
日清戦争で日本は清に勝利して、清から賠償金2億両(日本円で3億円ほど)が支払われました。
この賠償金を使って、日本は国内の経済へ投資していきます。
例えば、福岡に官営八幡製鉄所を建設して、国内の鉄鋼生産量を伸ばしていきました。
更に、日清戦争の後、ロシアとの間で日露戦争が勃発します。
日露戦争は、日本が朝鮮半島へ急進出したことが原因で起こりました。
日露戦争は、厳密に言うと勝敗は決しなかったのですが、日本は朝鮮半島の支配権を得ることになり、海外へ領土を広げていくことになりました。
戦争の結果、国内の製造業は急成長を遂げて、日本経済はそれまでの軽工業(生糸の生産など)中心から、重工業中心の工業国家へと変わっていったのです。
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第一次世界大戦で日本の工業化が加速!
1914年、ヨーロッパの民族問題をきっかけにして第一次世界大戦が勃発しました。
第一次世界大戦では、戦車や飛行機、機関銃など新しい兵器が数多く導入されました。
戦艦の製造も盛んになり、日本の造船業も恩恵を受けることになります。
戦争が起こることで、兵器の消費が活発になり、生産すればするほど売れていくことになります。
「戦争は景気を良くする」と揶揄されていますが、この皮肉はあながち嘘ではないのです。
日本の場合、第一次世界戦時は直接、ヨーロッパで戦闘を行ったわけではなく、経済的にダメージを受けることはありませんでした。
むしろ、国内の製造業が潤ったため、急激にお金持ちになっていく人々、いわゆる「成金」と呼ばれる人々が増えていきます。
歴史の教科書に載っている「成金がお札を燃やして、明かりを灯している写真」は、当時の成金たちの裕福ぶりを象徴するものですね。
第一次世界大戦をきっかけに、日本は「工業国」としての地位を盤石にしていきます。
モノづくりの国としての日本は、第一次世界大戦を機に成立したのです。
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順調な経済を世界恐慌が打ち壊した?
第一次世界大戦後、日本は好景気に沸き、国内でも様々な職業が生まれてきました。
タイプライターやバスガールなどの新しい職業は、当時の日本の光景を象徴するものとして、取り上げられました。
政治の世界でも、「大正デモクラシー」と呼ばれる民主化運動が進んでいき、日本全体が明るく、活発な雰囲気となったのです。
ただ、この流れを打ち砕く出来事が1929年に勃発します。
それは「世界恐慌」です。
世界恐慌は、アメリカの株式市場で起こった大暴落(ウォール街大暴落)が原因で、その影響が日本経済にも波及してきました。
世界的に不景気となったため、日本も輸出で儲けを出すことが困難になっていきます。
製品が売れなくなったため、国内の経済は徐々に成長スピードを緩めていきます。
足りなくなった資源を獲得するために、「他国の領土をどんどん奪っていくべき」という考えが日本の政治、経済界で叫ばれるようになりました。
この結果、軍部が政治・経済界に進出するようになり、日本は軍事国家への道を歩んでいくことになります。
始めは、中国の領土を奪うために、日中戦争を起こしますが、軍部の読み通りの展開にならず、戦争が長期化していきます。
ただでさえ、国内経済の不振で資源や食料が足りないのに、戦争の長期化によって、経済状況の悪化に拍車をかけていったのです。
日本は、状況を打開するために、東南アジアへ進出を開始します。
ただ、この東南アジアへの進出が、大国アメリカの逆鱗に触れ、日本はアメリカとも対立を深めていくことになったのです。
そして、日本はアメリカのハワイにある真珠湾への奇襲を断行します。
奇襲の結果、アメリカは日本へ宣戦布告して、日本を再帰不能になるまで追い込んでいきました。
原子爆弾の投下もあり、日本はアメリカを中心とした連合国に降伏します。
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戦後の日本経済は「戦争」で復活?
アメリカとの戦争で、日本の経済は瀕死の状態でした。
戦後の物資不足のため、非合法の「闇市」が全国で開かれて、人々はなんとか飢えを凌いで暮らしていました。
GHQによる占領政策によって、戦争で利益を得ていた財閥は解体され、地主に集中していた農地は分配されました。
ただ、皮肉にも戦後の日本経済は「戦争」によって復活することになります。
日本経済復活のきっかけになったのは韓国と北朝鮮との間で起こった「朝鮮戦争」です。
朝鮮戦争の結果、日本はアメリカから軍需物資の生産を命じられて、どんどん生産をしていきます。
生産した分、アメリカが買い取ってくれるため、日本の製造業は徐々に息を吹き返していきます。
この景気を「特需景気」と呼びます。
特需景気の結果、日本は戦後の困窮した経済状態から脱出して、製造業を中心に国内経済が回り始めていきました。
1960年代、日本は「高度経済成長」と呼ばれる時代を迎えます。
発達した製造業が、品質の良い製品を安価で生産して、それを大量に売り出していったのです。
国内のみならず、国外へも製品が売られていき、日本の経済は急成長を果たします。
「もはや戦後ではない」という名言も、高度経済成長期に生まれました。
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〜コラム〜「もはや戦後ではない」の言葉の真実
世の受けとめと執筆者の意図との間に、これほどのずれが生じたことばも少ない。「もはや戦後ではない」。だれもが耳にしたことがある名句は、1956年(昭和31年)の白書の結語に登場する。
筆を執ったのは発足から間もない経済企画庁で調査課長をつとめていた後藤誉之助。後藤が伝えたかったのは、このあとにつづく文言だ。「われわれはいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終った」
日本経済は戦後の復興需要という原動力にたよれなくなり、みずからの手で成長を生み出してゆかねばならない――。国民と経営者に自立をうながす警句だったのだ。
本来の意図としては、「特需」による経済回復はもう終焉を迎えるので、今後は日本自身で経済を成長させていかなければならない、という執筆者の「危機感」から出た言葉だったのです。
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日本経済に徐々に陰り・オリンピックが開催される今後の景気の動向は?
高度経済成長は、戦後の日本経済を急成長させていきました。
しかし、急な経済発展の裏では問題など、経済発展による弊害が徐々に表れてきました。
さらに、1973年の勃発した第4次中東戦争によって、オイルショックが起こりました。
オイルショックによる原油価格の高騰により、日本の高度経済成長は終わりを告げます。
その後は、緩やかな経済成長が続いたのですが、1980年代後半から1990年代前半に、日本を長期的な不況に落としれる事態が発生します。
それは「日本バブル経済」です。
バブル経済が生じている際は、不動産や株価の高騰により、利益を得られる人々、企業が増えていきました。
しかし、問題はバブル経済の崩壊後です。
バブル崩壊により、大量に借金をしてまで株や不動産を購入した企業が返済不能となり、相次いで倒産していきました。
企業倒産により、職を失った人々も増え、日本は深刻な不況に陥っていきます。
この間、日本国民の間に「なるべくモノは買わずに、貯金をして不況に備える」というマインドが定着していきました。
その後、日本の景気回復は思ったように進まず、2000年代を迎えていくことになります。
日本政府の規制緩和などによって、ようやく景気が上向いてきたと思われました。
しかし、2008年の「リーマンショック」による世界的な不況で、また不景気に逆戻りとなりました。
2012年から実施されている「アベノミクス」によって、株価は高騰してきていますが、実体経済はそこまで成長を果たしていません。
東京オリンピック終了までは、それに伴う需要の増加によって、多少景気が上向いてくると想像されます。
ただ、オリンピック終了後は、需要が急激になくなるたえめ、不景気への圧力が強まる可能性も無きにしも非ず。
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まとめ
経済学の理論上、好景気と不景気は交互に繰り返されるものです。
日本の場合、高度経済成長とバブル経済崩壊のインパクトが強すぎて、今もなお、経済が停滞している状態に陥っています。
株価のみを見れば、景気が良くなっているように見えるかもしれませんが、実体経済の成長は株価の高騰ほどの状態にはなっていません。
加えて、日本は少子高齢化社会となっていますので、国内の労働人口は年々減少してきています。
今後、日本が好景気の状態になるためには、外国人労働者の導入など、抜本的な改革を進めていかなければなりませんね。
以上、世界経済から俯瞰・過去の日本経済の歴史を解き明かす!今後の景気の動向は?…の話題でした。