「ライブドアショック」をご存知でしょうか?
ライブドアショックが起きた2006年当時、投資をしていない方でも何となく言葉を知っているという方も多いと思います。
ですが、実際にどういったことが起きたのかはっきりと言える人は多くありません。
そこで大々的なニュースにもなったライブドアショックが一体どういったものだったのか?
今回のコンテンツではわかりやすく紹介していきたいと思います。
■ 過去の世界経済恐慌:
目次
Contents
ライブドアショックとは?
「ライブドアショック」とは、2006年に起きたライブドアの社長である堀江貴文氏の逮捕を発端とした株価の大幅な下落のことを言います。
ライブドアショックが大きな事件となったのは、一企業の問題が、株式市場全体(多くの銘柄の株価)に波及したからです。
[1月18日 ライブドア・ショックで東証が取引全面停止]
株式などの取引所に求められる重要な役割の一つは、取引時間に必ず売買できることだ。現金に換えられるからこそ投資家は安心して株を買える。ところが2006年1月18日、東京証券取引所は通常の終了より20分早い午後2時40分に株式の全銘柄の取引を停止した。
売り注文が殺到し、この日の日経平均株価は400円超下げた。東証はシステムの処理能力がほぼ限界に達したと判断した。きっかけは2日前、堀江貴文氏が率いる東証マザーズ上場のライブドアに東京地検特捜部の強制捜査が入ったこと。容疑は証券取引法違反だった。個人投資家に人気のあったライブドア株を売る動きは他の銘柄にも波及し、いわゆる「ライブドア・ショック」が起きた。
ライブドアショックにより、ライブドアとは何ら関係のない企業まで株価が下落、株の取引時間も繰り上げするという異常事態が起きました。
なぜそんな事態となったのか、そもそもライブドアとはどういった会社だったのか?という点から説明していきます。
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当時のライブドア社長・堀江貴文氏とはどのような人物なのか?
「ホリエモン」こと堀江貴文とは、どのような人物なのでしょうか?
堀江貴文氏は、1972年10月29日に福岡県八女市で生まれました。
名門の東京大学文学部に在籍中に、友人とともにインターネットサービスを手がける「オン・ザ・エッジ」という会社を立ち上げます。
東大出身で、しかも学生時代に会社を立ち上げるくらいですから、若い頃からかなり優秀だったことがわかります。
事業が忙しくなったこともあったのでしょうか、堀江貴文氏は東京大学を中退しました。
「オン・ザ・エッジ」は、ウェブサイト制作、メルマガ、バナー広告などで順調に経営を拡大し、2000年についに東証マザーズに上場しました。
この頃から、Eコマースなどの金融事業にも参入を始めました。
そして、2002年に「ライブドア」を買収し、自社の社名を、知名度の高かったライブドアと改めました。
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ライブドアとはそもそもどんな企業だったのか?
ライブドアは、その頃普及し始めていたインターネットに欠かせない、ISP事業を行っていました。
当時、ISP事業は有料なのが普通でしたが、ライブドアは無料で行っていたのです。
しかし、十分な広告収入を得られず、赤字の状態でした。
そこを、堀江貴文氏が買収したのです。
買収後、ライブドアはISP事業だけでなく、ポータルサイトの提供などのインターネット事業を手広く行うようになり、急成長を遂げました。
堀江氏は当時珍しかった企業買収(M&A)により会社を大きくしていきました。
04年にライブドアが弥生を230億円で買収したが、07年には投資ファンドに710億円で売却。14年に現在の親会社であるオリックスが800億円で買収した。
また、個人投資家を呼び込むために積極的に株式分割など実施。
そして、堀江氏本人がメディアに多く出演したこともあり、ライブドアは投資家以外にも知られる有名企業となりました。
堀江氏のメディアでのパフォーマンスが当時人気を呼び「ホリエモン」と呼ばれ、一時期は「時の人」と呼べるほどの人気を博していました。
実際に、ライブドアはプロ野球球団の近鉄バッファローズの買収提案やニッポン放送株を巡るフジテレビの対立など新興企業としては過去に例のない事例が多々あります。
そんな有名企業だったライブドアがどうしてライブドアショックと言われるほどの混乱を引き起こしたのでしょうか?
ここからはライブドアショックの詳細と原因について紹介します。
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ライブドアショックの詳細
2006年1月16日に速報ニュースでライブドアが証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の容疑で捜査を受けているという報道が流れました。
ライブドアとその関連株には大量の売り注文が出ました。
その結果ライブドアは6日間ストップ安という大暴落により株価が数分の一にまで下落してしまったのです。
実際にライブドアは粉飾決算を行って、利益が出ていないにも関わらず利益を計上していました。
株価が数分の一になるというケースも多くはないですが、株式市場ではままあります。
しかし、いち企業が粉飾決算を行っただけでは大事件とはなりません。
ライブドアショックが、ここまで大事件となったのは、株価の下落がライブドアとは関係のない企業にまで波及し、株式市場全体を巻き込んだからなのです。
では、なぜライブドアショックは株式市場全体に影響を与えたのでしょうか?
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ライブドアショックが株式市場全体を下落させた理由
ライブドアショックが株式市場全体を巻き込んだのは、株式分割を繰り返し、売買単位を1株にすることで大勢の個人投資家を集めたこと。
そしてライブドアに投資する多くの個人投資家が信用取引でも買っていたことが大きく関係しています。
信用取引を行う場合は取引金額の30%程度を保証金として口座に入金する必要があります。
この保証金は現物株式を担保として代用することが可能です。
現物株式で代用する場合は、評価額の80%程度が保証金と見なされることが多く、例えば100万円分の現物株式を保有している場合、80万円の保証金があるとして扱われます。
この保証金を計算する際に使用する評価額に対する割合(上記例では80%)のことを掛け目というのですが、この掛け目は各証券会社が設定しており様々な要因で割合が変わることがあるのです。
ライブドアが証券取引法違反で捜査を受けた時も掛け目の変更が行われました。
マネックス証券がライブドア株に対する掛け目を0%にするという衝撃的な処置を取ったのです。
つまり、ライブドア株には信用取引の担保としての価値は全くないということになりました。
混乱を招いた担保掛け目引き下げ
ここで注目されるのは、17日の日中にマネックス証券が、ライブドア及び関連会社の株式5銘柄について、信用取引における代用有価証券(担保)掛け目をそれまでの70〜80%から一気にゼロに引き下げると顧客に通知したことである。
この措置で、ライブドア及び関連会社の株式を信用取引の担保として差し入れていた同社顧客は、多額の追加証拠金(追証)の差し入れを迫られることになった。
これがきっかけとなって、手持ちの他の銘柄の売却に踏み切る投資家が急増したことは容易に推測できる。
しかも、担保掛け目の変更はマネックス証券の既存顧客へのメール連絡によって伝えられたが、その事実はネット上の掲示板などを通じて積極的な売買を繰り返す個人投資家にたちまち伝わり、他の証券会社も同様の措置を講じるのではないかと不安心理が広がった。
個人投資家の投げ売り的な売り注文が増加、それがさらに事情を知らない投資家による売り注文を誘発し、17日の相場の急変を招いたものと考えられる。
当然、保有しているライブドア株を、担保にして信用取引を行っていた投資家の多くが保証金不足(追証)に陥りました。
その結果ライブドア株の売却はもちろんのこと、資金確保のために保有しているライブドア以外の株の売却を迫られたのです。
このことにより、ライブドアショックは一企業の不祥事であるのにも関わらず、株式市場全体に波及しました。
マネックス証券が掛け目を予告なく0%にしたことが起因となったことから、このことを「マネックス・ショック」とも言います。
実際に、マネックス・ショックによりライブドアが上場していたマザーズとは関係のない、TOPIXや日経平均株価まで2%を超える暴落となりました。
なんと、日経平均株価は500円近く下落しました。
その後も、ライブドア株や関連株に関する株に対する売り注文の勢いは衰えず、1月18日には全銘柄の取引を停止するという異例の措置が取られました。
これは、当時の東証の売買システムの対応上限である450万件という注文数を上回る可能性が高くなったからです。
このことにも、ライブドア株の株式分割と1株から売買できるということが関わっています。
当時ライブドア株の発行株式数は10億株を超えていました。
ライブドア株は、1株から売買できることから多くの個人投資家が保有していました。
その結果、売買金額はそれほどでは無いのにも関わらず、注文数約定数はライブドア株が著しく多かったのです。
結局、2006年1月18日もライブドアショックの影響は市場全体に波及。
日経平均株価は700円を超える大暴落となってしまいました。
その後もライブドア株は下落を続け、4月14日に遂に上場廃止となりました。
このように新興市場の一企業であるライブドアの不祥事により、株式市場全体が暴落した一連の騒動がライブドアショックと呼ばれているのです。
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結局何がいけなかったの?堀江貴文氏の罪とは?
「いまだにホリエモンはどんな悪いことをしたのかわからない」という人も多いかもしれません。
堀江貴文氏の罪は「有価証券報告書虚偽記載」で、「粉飾決算」とも呼ばれます。
ライブドア社は、本来3億1,300万円の赤字を計上すべきだったところを、50億3,400万円の黒字を計上しました。
当時大きなニュースになりかなりの大ごとでしたが、堀江貴文氏は脱税したわけでも、インサイダー取引をしたわけでもありません。
もちろん、粉飾決算は悪いことですが、日本全体を巻き込んだ大事件になった割には、堀江氏の罪自体は、地味なものだったのです。
(実際に、決算を公表する前に監査法人のチェックも必ず入るため、直接的に堀江氏に罪が及んだのも、何かの陰謀が働いたと噂すらあります)
また、「ライブドアの急成長の要」といわれた野口英昭氏は沖縄で突然死し、「ライブドア事件の闇」といわれています。
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ライブドアショックのその後
ライブドアショックにより、多大な損失を被った一部株主はライブドアやライブドアの経営陣に対して損害賠償を求めた民事裁判を起こしました。
その結果、訴えの一部が認められ賠償金の支払いを命じる判決が出ています。
全銘柄取引停止という異例事態となった東証は、ライブドアショックが起きた2009年に早速売買システムを強化し、同様の事態が起きないように対応しました。
また、今では株式の売買単位は百株で統一されており、当時のライブドアのような1株での売買は一部証券会社が実施している単元未満株取引などを除きできません。
ライブドアショックのような事件を起こさないために、法律面でも改正が行われ証券取引法は金融商品取引法となりました。
事件の引き金となったホリエモンこと堀江貴文氏は2011年に2年6カ月の実刑判決を受け、2013年には出所しています。
現在も様々な事業に投資を行っており、特に宇宙関連事業には力を入れているようでロケット開発などに多額の出資を行っています。
ロケット開発スタートアップのインターステラテクノロジズ(IST、北海道大樹町)は4日、小型の観測ロケット「MOMO(モモ)」3号機の打ち上げに成功した。
日本で民間企業が単独開発したロケットが宇宙空間に達するのは初めて。これまで国主導で進めていた日本のロケット開発に風穴を開けた。
同社は堀江貴文氏らが出資して2013年に設立した。20人ほどの少人数でロケット開発を進めてきた。
17年にモモ初号機、18年には同2号機を打ち上げたが、宇宙空間には達しなかった。
背水の陣で臨んだ3回目で成功し、同社の稲川貴大社長は「新たな宇宙開発の歴史を迎えることができた」と誇らしげだった。
堀江氏はツイッターで「宇宙は遠かったけど、なんとか到達しました。高度約113km」と投稿した。
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まとめ
今回はライブドアが引き起こした株式市場の暴落に繋がったライブドアショックについて紹介しました。
■ 今回の総括:
- ライブドアは企業買収により大きくなった企業
- ライブドアは株式分割を繰り返すなど個人投資家に人気が大変高かった
- 粉飾決算が発覚したことによりライブドア株価は暴落しライブドアショックに繋がる
- マネックス証券がライブドア株の代用掛け目を0%にしたことで事態は株式市場全体に波及
- 新興市場の一銘柄であるライブドアの不祥事が株式市場全体の暴落を引き起こした
以上、株式市場全体を巻き込んだ「ライブドアショック」とは?過去の大事件を分かりやすく紹介!…の話題でした。